イントロダクション

市民シネマ「梨の花は春の雪」は岸本町ビデオクラブの代表を務められている山城毅氏の提案からスタートしました。

鳥取県西部を舞台に、地域の住民が企画・出演などに関わる映画を制作することによって、地域の自立と再生を促し、活力のある地域づくりに繋げることを目指しての提案でした。

また、制作した作品を全国に発信することにより地域の発展に大きく寄与することも目的としています。

このような可能性が多くの方の賛同を得て2004年11月に準備委員会が発足。12月には制作実行委員会が設立され本格的にプロジェクトが始動しました。

原作は一般公募し、3回の原作選考審査会を経て、応募80作品の中から鳥取県米子市在住の松本薫さんの作品「梨の花は春の雪」に決定しました。

脚本も一般公募し、米子市在住の志水雄太郎さんの作品に決定しました。

さらにスタッフ、出演者もオーディションによって決定していきました。

順調に進んでいたプロジェクトでしたが、提案者であり監督を務める予定であった山城毅氏が体調不良によりやむなく辞任というアクシデントに見舞われスケジュールの大幅な遅延が余儀なくされるかと思われました。

しかし、原作選考委員でもある映画監督・錦織良成氏のご紹介により、東京から土屋哲彦監督を迎えることとなりスケジュールの大きな乱れもなく再始動。

土屋新体制のもと、撮影など専門技能の必要なスタッフを東京から迎え、さらに川村早織梨さん、細川智三さん、吉井怜さんらプロの俳優陣を迎えることになりました。

そして、2006年9月クランクイン。

2007年夏の完成を目指します。

完成後は、鳥取をはじめ全国での上映、テレビ放送、DVDの全国販売を計画しています。

ご期待ください

2006年9月


ストーリー

門脇響子は東京の家をひきはらい、娘の玲奈をつれて鳥取県米子市へやって来た。

響子の夫・晃弘の父が突然倒れ、その面倒を見るために晃弘の実家で暮らすことになったためだ。

響子は好きだった東京での仕事をやめ、この土地で第二の人生を始めようと決心をし、やってきたのだった。

新たな環境に戸惑いながらも、地元の人々とのふれあいの中で徐々に米子での暮らしにとけ込んでいく響子は、義父の後を継ぎ、梨を作ることを決心したのだが…。

これまでの経緯

2004.11 準備委員会発足
2004.12 12日:制作運営委員会設立の集い
20日:原作公募要項決定、公募開始
27日:記者発表
2005.3 31日:原作公募〆切
2004.4 7日:記者発表 16日:原作選考第1回審査会
2005.5 21日:原作選考第2回審査会
最終選考会にノミネートする5作品を選ぶため審査は深夜まで及ぶ
審査委員:
柴田 英杞(審査委員長、鳥取県文化振興財団 副理事長)
錦織 良成(映画監督)
長谷川 泰二(とっとりコンベンションビューロー 専務理事)
長田 昭夫(鳥取県医師会 会長)
浜田 妙子(鳥取県会議員)
前田 昇(YONAGOかわら版 編集委員)
高橋 孝之(山陰ビデオシステム 代表取締役)
2005.6 19日:原作選考第3回審査会・表彰式
最終ノミネート5作品の中から松本薫さんの『梨の花は春の雪』が最優秀賞に選出
30日:脚本・出演者・スタッフ公募
2005.8 17日:脚本公募〆切
2005.9 5日:脚本決定
米子コンベンションセンターにて開催し運営委員会にて脚本決定の表彰を行う
脚本賞は、鳥取県米子市の志水雄太郎さん(20歳)の作品に決定
2005.10 2日:スタッフ説明会・出演者オーディション
29日:スタッフ・出演者 追加説明会、オーディション
2006.1 14日:ジェームス三木氏より脚本の講評をいただく
29日:山城毅氏監督、体調不良により辞任
2006.3 19日:映画監督錦織良成氏のご紹介により土屋監督就任
2006.4 27日:土屋監督記者発表
2006.5 21日:オーディション
2006.7 2日:第2回オーディション
2006.9 8日:撮影開始
2007.8 編集完了
試写会、記者発表
公開予定


市民シネマ「梨の花は春の雪」 公式ウェブサイト